2008年12月9日火曜日

「明日の神話」を見てきた

影すら遺せずに溶け去った人々が
その代償に残した
原爆投下という歴史の記録
それは平和な現代の
すぐ下の地層にあり
私たちはその上を歩き回る


「原爆や戦争の悲惨」を伝えることは、必要で重要なこと。私もこれまでに幾度となく、それを学ぶ機会を得て成長してきた。なので、もう充分学んだ、という感情が近頃では先に立ってしまって。だからこの絵も実際のところ全く興味が無かった、のだけれど。
渋谷駅にある岡本太郎の「明日の神話」を見に行ってきた。





この絵の語るものが、ただ「悲惨」だけなら、私は写真を撮りもしなかっただろう。
「悲惨」だけではない何かが、ある。という違和感。
その理由は、「ほぼ日」の岡本俊子さんの音声解説を聞かせて貰って納得した。


あの絵は原爆をモチーフにはしているけれど、テーマはもっと大きな、たぶん「人間というもの」そのものを描き出しているんだな。
性善説や性悪説なんて偏ったことではなく、
時々、恐ろしいほど愚かで、
時々、眩しいほど愛に満ちた、
そんな、ただありのままの人間という生命存在。
そしてその行為のどちらもが、生命力という同じエネルギーから形作られているということ。
岡本太郎さんなら知っていたんだろう。
だから人間というものを信じていたんじゃないか、とも思える。
そして、もどかしかったのだろうか。
どこまでも強くインパクトをもって表現された作品たちは。
エネルギーを押さえ込み、手綱を握ることを強制される、この社会において。
彼の作品たちは苦々しくも眩しくて、憧憬を誘う。


彼の作品はエネルギッシュだとは知っていたけれど、
むしろエネルギーそのものを表現しているんだなぁと、
今更ながら感じた。やっぱり実物は違うわ。


大人しく原爆という額縁に納まっていてはくれない絵だろうから、
この絵はあの場所で良かったんじゃないかと思う。
忙しくしている人にこそ、立ち止まって見て欲しい絵なんだと思うから。


ただ一つ残念なのは、絵の正面になる通路から絵を見る時に、どうしても柱が邪魔になってしまうこと。構造上、仕方ないんだけど。


人間の暗いところで滞らずに
その先の未来に光りあれと祈り
そのために今
劫火を越えて燃え上がれと激励する。


ああそうか。あの髑髏は、火の鳥か。




あの絵を見ながら聴くなら、私は「but...Life goes on」がいい。