2009年10月25日日曜日

「蛮幽鬼」を見てきた

日曜日は、久々の新感線の舞台「蛮幽鬼」へ。


「五右衛門ロック」ぶりだわ~。と思ったら、電車に乗って20分ほども経った頃にチケットを忘れてきたことに気付いた!
慌てて姉さんにメール。姉さんのおかげで開演後10分ちょっとのロスで新橋演舞場に到着。
ありがとう~。


今回はゲストが豪華だねぇ。
新感線メンバーのキャラクターもいつも通りで。
殺陣も綺麗にきまっていて。
テーマもストーリーもいのうえ歌舞伎シリーズの定番といった感じ。
キャラクターもそれぞれ魅力的で。
舞台の出来はとても良かったと思う。


のだけれど、


でもなんだろ。今日の自分のコンディションのせいなのか。しばらく新感線を見てなかったせいか。
どこか入り込みきれず楽しめなかったんだ。
新感線の舞台を形作るパーツは全て揃っていて、ちゃんと新感線の舞台になっているのに。
どこかちぐはぐな、芯のない感じがしてしまった。
なんだろなぁ・・・。
基本的に私が新感線に求めているのが「笑い」だっていうのも原因かなぁ。いのうえ歌舞伎シリーズはシリアスが基本だもんね。
まぁ、いいや。来年を待とう。来年は「鋼鉄番長」がある。


「皇室の名宝」展を見てきた

土曜日、「教科書で見たあの作品を見に行こう!」と姉さんと一緒に上野の東京国立博物館へ。


開場時間に合わせて行ったのに、さすが土曜日。着いたときには行列ができてた。
中は人でギュウギュウで暑かった~。


けど、
美術の教科書で見た「唐獅子図屏風」が思っていたより大きいもので、しかも対になったもう一双に3匹目の獅子がいたことを初めて知った。


伊藤若冲の精緻な絵も、構図が現代的な感じでカッコイイ。日本画なのに日本画らしくないというか。


円山応挙の虎は、なんだかキュートだ。ぬいぐるみみたい。


子犬と朝顔の絵も、コロコロした子犬が可愛くて。


七宝焼きの作品は、気の遠くなるような細かい細工で描かれていて。あと、水墨画のような七宝焼きの額もあって、すごい。


上村松園の雪月花の美人画も綺麗だったなぁ。


次は第二期の正倉院展、見に行くんだ~。
それにしても、ミュージアムショップって金銭感覚狂っちゃうよなぁ。何であんなに色々欲しくなっちゃうんだろ。


そして上野駅構内のリトルマーメイドで買った、ぱんだパン。チョコパンと見せかけて、中はカスタードクリーム。


2009年10月23日金曜日

「自分の夢に、嘘はつけない」

昔、大好きだったCMのキャッチコピー。
ふと思いついて、そのCMをYouTubeで探したら、みーつけた♪

ジャックスカードの連続CM。
こういう時、YouTubeは便利だなぁ。(善い悪いは別にして)

マンガみたいな展開で、それが良い。CMという短い枠の中で描かれるドラマだから、そのくらいでないとインパクトがないしね。でも、だからこそ下手なドラマよりも出来が良くて、続きをワクワクして待ってた。
どんなに好きなドラマも最初の何回かと最後の方しか見ないことも多いタチなので、連続ドラマはほとんど観ない。だから、このくらいが丁度良い。
しかも演劇にハマるまでは俳優さんにもほとんど興味なかったから、松田龍平さんのことを認識したのもこのCMでだったなぁ。


懐かしい~。

2009年10月16日金曜日

セレブ・デ・トマト

ライブの後、くみ♪さん、みささんと一緒に立ち寄ったお店。


セレブ・デ・トマト


トマト料理専門のレストラン&カフェ


前にテレビで見たことあるお店だー♪


と、ちょっとワクワク。


で、これ食べてみた。


彩りトマトのコンポート 小さなパフェ仕立て


グラスの底には、しっとりチョコスポンジ
その上に、ふわとろホイップクリーム
てっぺんに、数種のプチトマトのコンポートが飾ってある。


コンポートはトマトの風味がちゃんとして、甘くて、
クリームとスポンジの口溶けもバランスが良くて、
なかなか美味しかったです。


そういえば、くみ♪さんが注文したトマトジュースのテイスティングセットを一口ずつ分けて貰ったんだけど、その中で一番甘いと説明があったトマトジュース(名前忘れちゃった)の味が、母の友達のトマト農家さんのこだわって育てたトマトの味と似ていた。
詳しくは知らないけど、市場に出せばブランド名が付くトマトらしい。母はそのトマトの市場に出せないのを分けて貰ってきて、そのお裾分けが夏の旬にはこっちにも届く。
とても美味い。
美味しい旬のトマトは、体にも美味しいんだ~♪


2009年10月10日土曜日

受け入れる力

先週・今週・来週とズーニーさんの「おとなの小論文教室。」で興味深いテーマを扱っている。


Lesson461~463 どうにもならないものを受け入れる力


先週・今週と読んでみて思い出したのは、フランクル博士の態度価値。
あらゆる自由を奪われた状態においても、唯一誰にも奪うことのできない自由。状況に対して態度をとるという自由。


でも、それは決して理屈では行えないものだと思う。
理屈で納得することを選ぶのも自由ではあるのだけれど、本来の自由ではない。理屈で心を束縛することを選んだだけであって、心を解放するものではないから。


最近の心境の変化から思うのは、「仕方がない」という理屈は断罪的だ、ということ。自分も相手も世界も、一刀両断にする。自分すら許せず、誰も救われない。
でも、認識が変わるだけで見えている世界が一変する、ということを私は知っている。正確には、認識が変わるというより、認識を実感に合致させる、という方が近いかもしれない。


実感というものは必ずしも、常識的でも一般的でもなければ大人らしくもない。
例えば「常識的に考えてその場面では怒るのが普通である」という時に、笑い出してしまうというナンセンスをしでかしたりする。でも、そこで笑わずに怒りだしたら、本来の実感の欲求が満たされないフラストレーションでますます怒りに油を注ぐだろう。
経験や常識・知識・感情によるフィルターが実感と認識を乖離させれば、フラストレーションはいつまで経っても解消されずに蓄積され続けていくだろう。


実感が導く自分だけの答え・自分だけの解は、これまでの認識の対極にあるものだったり、子供じみていたり、体が訴える体感だったりする。
それはもう、びっくりする答えが素直に自分の中から紡がれ、それに心底納得する。他人が知ったらおかしいと思うような答えだったとしても、それは自分を生かす答えだから。その答えで、心の痛みは消えているし、▼の形のようにフワフワと不安定でもっと軽く・もっと希薄になりたいと願っていた心が、▲の形のように地に足の着いた安定した重力を心が感じるようになっている。
それでいいと思える。
過去もまた、どうにもならないものの一つ。しかし、それさえ心一つで解き放てる。


受け入れたのは客観的な事実ではなく、自分が生き延びるための主観的な答えだった。


ズーニーさんがこのテーマをどのように締めるのか、楽しみだ。