2011年8月28日日曜日

岡本敏子さんという人

「明日の神話」を見にいったブログを書いて以来、それまで全く興味なかった、むしろ苦手だった岡本太郎という人に、興味が湧いた。そして本を読んだりドラマを見たりしている内に、だんだん岡本太郎さんよりも岡本敏子さんに興味が移ってきた。


なので図書館で本を借りてみた。
恋愛について、話しました。
岡本敏子さんとよしもとばななさんの対談集。
彼女の著作ではなく対談集を選んだのは、対話の形式の方が根本思想があらわれやすいだろうと思ったからだ。表に出る、その人となりを見てみたかったから。そして、一番新しい本のようだったから。


読んでみて、なんて自由な人なんだろうと思った。
「恋愛について」話しているのにもかかわらず、いわゆる女子バナにはならないカラッとした爽やかさ。そのじめついたところのない自由な真っ直ぐな気風が気持ちよかった。彼女の型にはまらない生き方がやはり興味深かった。


読んでいて心に残ったのは、「恋愛」とは全然関係ないことだけど。
おかしいものは「おかしい」と、嫌なものは「嫌」と、違和感は「違和感」と言っちゃっていいんだ。遠慮もいらなければ、理解さえいらないんだ。
ってこと。
それは、時々酷く恐ろしく感じること。拒絶を恐れて遠慮して、理解を求めて無理解を恐れる。それでも、自分に見えているものを聞こえているものを表現していいんだ。と思えた。


「いいのよ」と言う、あっさりした声が本から聞こえてきそうだったもの。実際に聞いてみたかったな。会って話してみたかった。そう思う人が一人一人と増えていく。


(今ふと思ったのは、理解と共感は別のものかもしれないってこと。理解の反対は無理解、共感の反対は無関心?それとも反感?愛の対義語は無関心だったか。じゃあ、愛と共感は近似のものなのかな。正しい理解を手放して、相手の感受に委ねること。前にもそんなこと書いた気がする、、、そうだ「bridge」のときだ。知識による解剖的な理解は「分断」だろうか。共感は既知に起因する全的な受容だろうか。太郎さんとクリシュナムルティは似ているかもしれない。・・・・・・ヘリクツ失礼)



2011年7月6日水曜日

ハワイの写真

日曜日に図書館に行ったとき、最近どうにも気になって仕方ないので高砂淳二さんの本を探してきた。


写真集「虹の星」はさすがに大きくて重かったので館内で見るだけにしたけど、やはり「虹」が自分にとってキーワードになっているようだと感じた。なんせ他の作家さんの本を探していて何気なく手に取った本も虹の物語だったし。


大きさが丁度良かったので高砂淳二さんの「ハワイの50の宝物」という本を借りてきてみた。綺麗な写真とハワイの文化などを語るコラムでできた本。とてもゆったりした気分で読んだ。こういう本を読むと行ってみたくなる。言葉とか民俗学的な独自の文化って、ホント面白い。


今、明治神宮文化館で開かれてる『海森彩生』写真展の8/17(水)~8/23(火)のゲスト写真家が高砂淳二さんだから、また見に行ってみようっと。他のゲスト写真家さんも気になってるんだよね~。


2011年7月2日土曜日

「想像より、おもしろい。ハワイ」展を見てきた。

見てきたといっても、もう先週のことなんだけれども。
会期が終わらないうちに感想を書きたかったのだけれど、ひとつ引っかかることがあって、なかなか書けないでいた。


写真はどれも素晴らしかった。
私はハワイになんの思い入れもない人間だけれど。
色鮮やかで美しく、生き生きとした写真たちだった。作品も、そのひとつひとつに付けられた写真家さんの短いコメントも、パネルに書かれた「アロハ」や「ホ・オポノポノ」の言葉の正しい意味の解説も、つながりあって優しくて和やかな世界観を生み出していた。


夜空や夜の虹の写真を見ると、相当良いカメラ使ってるんだろうなぁと思ったり。
どの写真も良かったけれど中でも、虹の中を飛ぶ一羽の鳥の写真がお気に入り。それから、真ん丸に円を描いた虹の写真。


写真を一通り見て、世界観を観じて、心に浮かんだのが「なぜ私は今、『ここ』に居ないんだろう?」という、せつない気持ちだった。
この気持ちが上手く掴めなくて、実のところ未だによく理解できてないでいる。

別にハワイに行きたいとか、住んでみたいとか、そういうことじゃない。まあ、行けるなら行ってみたいけど、、、っていうくらいしか思ってない。だから『ここ』は、きっとハワイという土地そのものじゃなく、その世界観なんだろうなと思う。
そして、その疑問形の問いからして、「私は今『ここ』に居るべきだ」が心に底に気付かずにあった想いなんだろう。
しかし、どうしたらいいのか分からない。いっそ行ってみたら分かるんだろうか、、、無理だけど(悩)


企画展『「想像より、おもしろい。ハワイ」展 ~自然写真家 高砂淳二が伝えるハワイ~』
http://fujifilmsquare.jp/detail/11061701.html





【2012.2.5追記】
この記事を書いてからだいぶ経ち、気付いたことがある。


この写真展に展示されていた写真の中で、砂浜に寝転ぶ一匹のアザラシの写真があった。
遠景には高層ビルが建ち並ぶのが見える誰も居ない砂浜で平穏に寝転がっているアザラシは、ハワイアンモンクシールという絶滅危惧種に指定されているアザラシだった。


その写真を見た時、「たとえ明日 絶滅するとしても、今 幸せに生きて良い。」という言葉が私の心の中に浮かんだ。


野生に生きる中、食事も得られない時もあるかもしれない、他の動物に襲われることもあるかもしれない、最後の一匹になるかもしれない、明日には絶滅するかもしれない。
決して楽な生ではないとしても、穏やかな今この瞬間には安んじて幸せで居て良いんだ、と。


私もそう生きて良いんだと、思った。誰でもそう生きて良いんだと、思った。




2011年4月17日日曜日

石井ゆかりさんの「牡羊座」買っちった。

丁度この時期に図書券を貰ったので、石井ゆかりさんの「牡羊座」買ってみた。

「ああ、わりと合ってるな~」と思って、姉さんに「私の取扱説明書」と言って渡してみたら、「書いてあること全部、お前。何これギャグ本?」ってゲラゲラ笑われた。
「そこまで?!」と思ったけど、どうやらそうであるらしい。


「行動パターン」や「落ち込んだとき」の章は、自分でもとても参考になった。
落ち込んだとき、自分でも不安になるくらいドン底まで落ち込んで、どうしようもなくなるけど。これ牡羊座の性質だから仕方ない。そしてちゃんと復活できるから大丈夫。
それが分かれば、安心して底まで落ち込める。中途半端は気持ち悪いのだ。


そして、自分はかなりのネガティブ思考だと思っていたけど。
牡羊座としての観点から言えば「自分の実感が全てであり真実」だから、
悪い実感の割合が多ければネガティブに片寄るってことなんだな。てことは良い実感を増やせばバランスがとれるはずだ。


や?当たり前のことか。でもいつも当たり前のことを忘れて、できなくて、気苦労を積み上げているのだ。しょうのない。


うん、なかなか面白かった。



2011年4月9日土曜日

水戸で、

3月末に水戸に帰ってきた。
地震の影響を見た。色んな話も聞いた。
上手く文章にまとめようと思ったのだけれど全然まとまらない。
だから、まとまってない文章で書いてみる。


高速バスで帰ったのだけれど、高速道路はかなり直っていて「さすが土建王国・茨城」と思った。
水戸駅もホームが崩れたりしていたけれど、4月には鉄道も開通している。駅ビルやマルイは閉鎖されてて、駅前のペディストリアンデッキも通行止めになっていたけれど。
梅祭り真っ盛りだったはずの偕楽園はあちこち崖崩れが酷いらしくて閉園になっていた。隣にある常磐神社には入れたけれど、大きな石灯籠が軒並み横倒しに崩れたままになっていた。


他の神社では鳥居の倒れたところもいくつかあった。
屋根瓦の落ちた民家もかなりあって、ブルーシートが掛けられていた。聞いた話では、新築の家が全壊したなんて所もあったらしい。オール電化の家は停電中にガスが復旧しても火が使えずに困ったという。
前に働いていたコンビニでも、道路に面したガラス面がヒビ割れして全て入れ替えしたと言っていた。ビン類も相当数落ちて、新しく入荷した分は箱に入れたまま床に置かれていた。水の購入も一人一本に制限されていた。
水戸市内ではガソリンスタンドはわりと開店していて、まだ閉店したままのスタンドは貯蔵タンクが壊れているからだと聞いた。


親戚には農家をしている人もいる、母の知り合いにも農家の人がけっこういる。
出荷制限を受けたホウレン草農家の人は「ご自由にどうぞ。ただし何かあっても責任は負いません」と畑に張り出したところ、1時間で畑一面のホウレン草がキレイサッパリ消えたそうだ。
風評被害で米が返品されてきたという話もあった。米は去年とれたもの、建物の中で保存されて、精米され、袋詰めされている。何の問題もないのに、と。
むしろ、今年の米が作付けできるかどうかの方が問題だと言っていた。野菜はハウスで雨風を避けることができるけれど、米はどうしても雨風に曝されてしまうから。
関東・東北一円で米が作付けできないようなら、年末から来年そしてそれ以降も米不足と米の値上がりは避けられない。備蓄米だって支援物資として放出されているだろうから。
魚に関しては、まだ今は問題ないけれど。食物連鎖というものがある。イタイイタイ病や水銀の問題と同じで、長い時間を掛けて蓄積されていく。それが、これからの問題。


南相馬は父の実家のある土地。向こうの親戚たちは無事だけれども、みんな方々に避難していった。
祖母たちのお墓もお骨も位牌も流されたと聞いた。実家の家も骨組みだけ残して中身は全て津波に浚われたと。伯母はもう帰る気はないと話しているようだ。
原発事故で立ち入り禁止になった区域では、被害者の遺体の収容作業もできず放置されている。東北では地震から1週間後に救助された人たちがいたが、原発周辺地域では生存者がいたとしても見殺しにされた。そういう話を聞いた。


それでも、あの塔が倒れなくて良かったと思う。建ったばかりの頃はあまり好きじゃなかったんだけど。ニュースであれが映れば水戸だとすぐわかる。


そして、人事に関係なく、花は咲き、実り、子は生まれ、季節は移り、地球は生きてる。私は自分が核物質や原子力、放射能などのこと、どれだけ無知だったかを痛感する。
うん、but...Life goes on。


2011年4月6日水曜日

掴んだもの

昔話から始めよう。
昔々、私は軽さを求めていた。
紙のように薄く、ガラスのように透けるほど、塵芥のように軽い、風のような生き方。
飄々と生きているように見られていたから、表面的には成功していたんだろう。でも「求めている」ということは、本当には手に入れてないということ。記憶とか、感情とか、変なプライドとか、ルールとか、常識とか、いろんなものが重石になって、振り解けずに繋がれている感じがとても嫌だった。


時々ふと頭をよぎる「諦めて心を殺そうか?諦めて体を殺そうか?」などという択一を日常生活の中で濁して生きている内に、選ぶより先に心がパンクした。粉々に散らばった心を前に精神は自失して、脳に刻み込まれたルーティンがただ体を動かし続けていた。精神が停止していても、それまでのプログラム通りに体が機能していれば誰も何も気付かない。
相変わらずの日常を人前で動き一人になると指一本も動かずに、目を開けたまま、あるいは目を閉じて眠っていた。そんな風に木のように貝のように生きている人間は、ゾンビだった。そりゃそうだ。人の目に入らなくとも、木は木同士、貝は貝同士でちゃんとコミュニケーションとって生きているのだから。人は木にも貝にも、なれない。


そんな日々を過ごしていたある日、
目を開けたままの微睡みの中、
心臓の音が聞こえた。
ザクザクと血液を送り出す音。
しばらく耳を傾けて、
そして、ふと目の前に手をかざして見た。
「この体この細胞は死にたいなんて微塵も思ってないんだな」
と思った。
「なら死ぬまで生かしてやらなきゃいけないな」
と思った。
「でも今までの自分じゃ生きられないな」
と思った。


丁度良く自失状態だったので、どちらにせよ「生きる」には「自分」を拾い集めていかなければならなかったから、どうせなら生き易い自分を新しく組み上げようと思った。
名前、誕生日、家族、友人、と拾い集めていった。最初に拾うか捨て置くか迷ったのは「書くこと」「考えること」だった。いっそ自分の持っている全ての筆記用具も本も捨ててしまおうと思った。書かず、考えず、生きれば楽だろうと思った。思ったそばからそれを書き留めている自分を発見して、どうも無理らしいと思い直した。後日、山田ズーニーさんの「考えない不自由」に関する文章を読んで、「考える自由」の方を拾った。


生き易い生き方を求めて、本を読み漁った。自己啓発本もスピリチュアルも哲学も宗教書も心理学も、真面目なのも怪しげなのも、学術書も漫画も。挙げ句「どの本も言ってることは大して変わらない」と感じ始めた頃、クリシュナムルティとフランクル博士の本に出会い、この手の本を集中的に読むのはこの2人の著書で打ち止めになった。


世界の見方、認識の仕方が変わったことで、今の自分はだいぶ生き易くなったと思う。


そしてそんな記憶も薄くなってきた頃、311・今回の地震がきた。
ゆっさゆっさと揺れるアパートの中に一人で、「アパートが崩れたら」と思ったら「死ぬかな」と続いた。どんどん強くなる揺れと一緒に「死ぬ?」「生きる?」の間を心が迷走して、ためらいながら「助けて」を掴んだ。
後で冷静になった頃、「ああ、やっぱり結局、生きる方を選ぶんだなぁ」としみじみ感じた。
きっとこれからも、死ぬまで「生きる」方を掴んでいくんだろうなぁ、と。


じゃあ、どうしよう?と考える。
これまでは、それでも少し投げやりな気持ちを拭えずに「いつ死んでもいいや」と思っていた。でも体や脳の根っこの部分で結局「生きる」を掴んでしまうなら、厭世的な意識も諦めが肝心だ。
前回は生き易さを求めて、世界の見方を変えた。
「今回は?」と自問したら、「悔いのなさ」と自答が返った。
「いつ死んでもいい」のレベルを上げて、「いつ死んでも満足」に生きる。
かなりハードルが高い。きっと何度も忘れては、取りに戻る言葉になる。けど、そういう風に生きたい。


今日、だから書く。忘れないように。


2011年3月26日土曜日

帰ル、水戸。

2月に「3月末に水戸に帰るから~」と母親に連絡した時、こんな事態になるとは全く思いもしなかった。


髪もだいぶ伸びてしまったし、丁度この時期は映画「ナルニア国物語・第3章」が上映されているからと思って選んだ日だった。
原作の「ナルニア国物語シリーズ」が母娘で好きで、ウチの家族は滅多に映画館に行かないのだけれど、「ナルニア国物語シリーズ」に関しては第1章の時からずっと2人で映画館に見に行ってた。


けど、いま水戸じゃどこも映画館は開いていない。再開の見込みさえ、まだ無い。だから一緒に見られない。それがとても残念。


「ナルニア国物語・第3章」はシリーズの中でも私がかなり好きな回で、けっこう楽しみにしていたんだけどな、、、一人で見に行く気にはなれない。


それでも元気な顔見に&顔見せに、28日から行ってくる。お店の状況も、オーナーや店の皆のことも、気になるし。


これまでは地震に対して悲しみとか諦めの感情が強かったけど(今回の地震・津波以外の災害に関しては苛立ちがあるけど)、ここにきてようやく地震そのものに対する怒りが湧いてきた。


地震めっ[E:annoy]




2011年3月15日火曜日

こんな時だからこそ

「歌うことと笑うことを知る者は、どんな困難にも挫けない」


という言葉があります。


深刻な状況であり、そんな気分ではないかもしれません。


だけど、
無理矢理でも口角を上げてみてください、
溜め息に鼻歌を混ぜてみてください、
両腕上げて丸めた背中を伸ばしてみてください。


少し、気分が変わります。


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ネットのチャリティでの被災された方へ向けたメッセージ
として書いたものだったけれど、
もっとひろく皆に必要なことかな、
と思ってブログとツイッターにもUPしてみた。


2011年3月11日金曜日

地震!!

この状況ではメール送っても届かない。
電話も緊急用のためになるべくかけない方がいい。


もしネットに繋げることができて、
ツイッターやmixiやFacebookやブログサービスなどにアカウントを持っているなら、とりあえず何か書き込んでおくと安否確認になるよ。


みんなが無事でありますように。


さすがに第一波の時は誰にともなく「助けて」って思ったよ・・・。
全然無事だけど。
トースター落っこちたし、コップたくさん割れちゃった。油も醤油もこぼれちゃった。ネットを使わない両親の安否が確認できない。東京の電車は全部、運転見合わせで、姉さん今日帰ってこれるのかしら。中継で大洗町の津波の映像が出てる、海近くに住んでいるおばさんは大丈夫かしら。あちこちからサイレンの音が聞こえてくる。


気になりだすとキリがない。


お、どうやらメールは2時間の時差で届いてるみたい。


2011年3月4日金曜日

こんな日には、

悲しくて心が凍っている時は
お鍋を火にかけて
コンロの前に椅子をおいて
空気と水がコトコト歌う声に
耳を傾けていよう。
頃合いをみて
悲しみも鍋に入れて
煮溶かしてしまおう。
きっと良い塩加減になる。
出来上がりは、美味しい、せつない味。


.


さて、今年もなんだか小豆を煮たい時季になったので。
お正月に実家から届いたまま放置になっていた小豆が古くなる前に炊きましょ。美味しい内に食べちゃいましょ。と、前夜に水に浸けておいた小豆を圧力鍋に投入。
なんだか毎年、この時分に小豆炊いたこと書いてるなぁ(笑)
で、今年はコレ。


どらやき~。


ふと、
どうしてドラえもんはのび太を見捨てないんだろう
と、そぼくな疑問、、、


2011年2月27日日曜日

もなか



雑司ヶ谷にある「ときわ木」というお菓子屋さんの「子育てもなか」
http://www.wagashi.or.jp/tokyo/shop/2624.htm
これが今のところ私のTop of もなか。


甘党であんこ好きーの私だけど、
実はモナカは甘味の中でもさほど好きじゃない方だったりする。
だって、皮が歯に付いて離れなくてイライラするからさ。
あんまり好んで食べてはいなかったんだ。


でも!
この「子育てもなか」は歯に付いたりしないし、あんこも美味しいのだ。
原材料も「小豆、砂糖、水飴、餅米」以上。と、非常にシンプルなのも好印象。
味付けは昔味なので、がつんと甘いです。
でも、だって、それがモナカだし(笑)


ちなみに次点は「千葉銘菓・ぴーなっつ最中」♪


2011年2月21日月曜日

原風景

原風景(げんふうけい)とは、人の心の奥にある原初の風景。懐かしさの感情を伴うことが多い。また実在する風景であるよりは、心象風景である場合もある。個人のものの考え方や感じ方に大きな影響を及ぼすことがある。また、しばしば原風景は美化されたり、自らが都合のいいように変化していたりする。
Wikipediaより




「子どもの頃に見た風景がずっと心の中に残ることがある。いつか大人になり、さまざまな人生の岐路に立った時、人の言葉でなく、いつか見た風景に励まされたり勇気を与えてられたりすることがきっとあるような気がする。」
星野道夫


ツイッターのタイムラインにこの言葉が流れてきた時、思い出した景色がある。
森の中で一人切り株に座っている子供の頃の自分だ。
ひとかけらの不安もなく、降り注ぐ緑の光と風に一人遊ぶ。
ただ、そこが何処なのか私は知らない。


そこについて覚えているのは、父に付いて山に入った時のことだということ。
父は最近はあまりしなくなったけれど、昔はよくキノコや山菜採りに山に入る人だった。私は覚えが悪かったので収穫に貢献することはほとんど無かったけれど、誘われれば付いていって、そうした中で山での作法や知恵のようなものを教わった。
その日は少し深く山に入ったので、2人が座れるほど大きな切り株のある1メートル四方くらいに拓けた場所で缶コーヒーを飲んで休憩した後、父は待っているように言い置いて一人で歩いていった。
私は座ったまま、父の落ち葉を踏む足音に耳を澄ましていた。その音が聞こえなくなったら、他の音が聞こえだした。姿は見えない小さな生き物がたてる小さな物音。見回しても周りは木の幹や葉や草や蔦が埋め尽くして見通せはしない。明るく差し込んでいる太陽の光も葉に遮られて緑に透けた光。見上げても空色は見えない。
不安は全くなかった。父が戻ってくることに疑いがなかったから。ただし父が戻るまでそこから一歩も動かなかった。遭難する危険があるし、自分がこの場所にに居るのは帰り道の目印のためでもあるからだ。
近場の音に飽きると、今度は鳥の声を追った。何の鳥かは分からないけれど、どこまで遠くの鳥の声を聞き取れるか耳を澄ました。そうすると、やはり鳥は鳴き声でコミュニケーションをとっているのが良く分かった。どこかで声が立てば、余所から同じ種の声が返るのだ。
鳥の声に飽きたら、次は風。風は背後遠くから梢を揺らして樹上を通り過ぎていく。波のように何度も何度も、やってきては頭上を通り過ぎ去って、間を置いて、またやってきては去っていく。どれだけ遠くの風を聞き、どれだけ遠くまで追っていけるか、と遊んでいた。
そうして遊んでいる内に、遠くから落ち葉を踏む足音が聞こえてきて、近付いてくる足音に耳を澄ます。そうして顔を出す父に「おかえりー」と言ってへらりと笑うのだ。


そんな記憶と景色。


確かにこの景色を思い出すと、落ち着きを取り戻して安心する。
社会でなく世界に軸足を戻せる。
だから今でもそのように耳を澄ます。広く広く音を拾い集めるように、それでいて一点に集中するように。


まあ、ホントに昔から一人遊びは得意なのである。


ルーティンから抜け出す

沈黙と押し黙ることは、全く違う。


近頃またぞろ自分が黙り始めていることに気が付いた。
こういう時の自分との問答はツーカーといかない、押し問答になる。
「これまで・このまま」を維持しようとする無意識に抵抗するからだ。
無闇な「怒り」という感情になったりもする。
「怒り」とは何かを守ろうとする意識から起こるものだそうだ。だから「怒り」を押さえたいなら、自分が何を守ろうとしているのかに気付いて、ひとまずそんな自分自身を認めると良いのだそうだ。
私のこの場合は「ルーティン」だ。「変化」を良しとせず、相変わらずのままでいようとする。


どうもここ数年、この抵抗を同じパターンで繰り返していた気がする。
それは断絶やカラッポや「どうでもいい」や自己嫌悪や自己否定から始まって。
そして「存在意義」や「書く意味」を問い質し出す。


そこでそれに囚われると、精神的な断絶部屋行き決定。
全てのつながりから自分を隔離して引きこもり出す。
引きこもったままなら、まだ良い。
うっかりすると自己憐憫を満たすためだけに、優しい人を搾取したりする。
最初の内はそれが普通の行動として起こるが、途中で自分の意地汚さに気が付いて、更なる自己嫌悪に陥っていく。
自分の落下に他人を巻き込むから、引きこもりよりタチが悪い。


でも今回は上手く復帰できた。
表現する喜び、伝える楽しみ。
誰にも、私にも、譲らない。
文章が上手かろうと下手だろうと。
内容がベタだろうと変だろうと。
文章は私の声代わり。
人がただしゃべる時、話し方が上手いとか下手とか考えていないように。
そのような気楽さで。
黙るな!
と、吹っ切れた。


でもきっと、これからも、何度も、同じようなことを繰り返すんだ。
だって、前にもこんなこと書いた気がするもの。
でも特効薬なんか無いから、せめて同じところには戻らないように、少しずつでも変化をしていく。


少し悩んだのは、飆庵に書くのか、別の所で書き始めるか、だったけど。飆庵は私の心の住処であり屋号のようなものでもあり、ここに書けないならどこに書いても無意味のように思えた。
だからこれから、KUMAMI関連以外のブログ記事の更新頻度が上がって、変な文章が増えていくけど、気にしないでね。まあ、カテゴリから必要な記事を見てもらえれば、余計なものは見なくてすむでしょう。


2011年2月15日火曜日

福岡に行ってきた。3/帰宅

翌朝はホテルの朝食サービスを食べて、のんびりチェックアウト。博多駅のコインロッカーにまた荷物を預けて、駅のお土産どころを物色。頃合いをみて博多駅近くの中古CDショップを3軒回って、無いことを確認。すぐに終了。4時過ぎの飛行機まで、かなり時間が空く。


なのでキャナルシティに行ってみることにした。
「ウィキッド」を観たい衝動を堪えて、お昼を食べようとお店を確認。


ここはラーメン食べとかないとでしょ、と考えて「だるま」と「一蘭」で迷う。そしてなんとなく以前テレビで見た気がする「一蘭」へ。丁度お昼時だったから少し行列。基本のラーメンに、なぜかやけにアピールしてたカムカムアイスを注文。仕切りがあるのも、どんぶりが重箱タイプなのも、顔の見えない店員の丁寧な接客も、少しの違和感。
味は美味しい。が、油たっぷりだ、当たり前だけど。
実は油をとりすぎると体調を崩しやすくなる体質なのだ。最終的に体調を崩すことはなかったが、少しヒヤヒヤした。
そしてさらに基本的にラーメンにこだわりはないんだが、私はどちらかというと、いわゆるシナそば・中華そば・東京ラーメンなどと呼ばれるチャーシュー・メンマ・海苔・なると(←必須!)がのった醤油ラーメンが好きだったんだっけ、ということを思い出した。
カムカムアイス、甘酸っぱくて美味しかった。


そして腹ごなしにキャナルシティを歩き回っていたら、迷った・・・。入ったトコと違うトコから出ちゃってなおさら訳分かんなくなって、またしばらく歩き回って、何とか入ったトコに戻った時には、程良く時間が経ってたのでのんびり博多駅に戻って空港へ。
空港で小腹がすいて売店で気になった「三日月屋」のクロワッサンを食べてから気が付いた。美味しい・・・が、バター・・・。


搭乗待合室で待ってたら、乗るはずのスカイマークの到着が遅れているとアナウンス。結局17時前後に出発。
福岡空港から発つ時って、一気に飛び上がる感じで、羽田みたいにのんびり上がっていかないのね。夕日がとっても綺麗だった。
30分遅れで羽田に着く頃にはもう真っ暗だったけど、それはそれで誘導灯が青く光って線を描いていて綺麗。
そしてまた羽田の売店で釣られながら、無事に帰宅したのでした。


今回のお土産
・醤油風味の兎のおまんじゅう(わりと好評)
・鈴懸の鈴乃最中(思ったより普通。でも博多の本店にはカフェがあるようなので行ってみたい。ちなみにMyBestモナカは雑司ヶ谷・鬼子母神にある「ときわ木」の「子育て最中」)
・Mrs.Elizabeth Muffinのマフィン2種クッキー1種(帰りの羽田で釣られた)
・明太チーズ(姉さんに)
・お持ち帰りラーメン「八ちゃん」(まだ食べてなーい。今度はお店に行こう)


教訓1・福岡の美味しいものは油に気をつけよう、私。
教訓2・無料で配られてた観光ガイドとか町歩きマップを貰ってきたので、次行く時にはちゃんと下調べしていこう。ターゲットは「かろのうろん」と「川端ぜんざい」と「アジア美術館」だ♪


それからKUMAMIの曲は飛行機や空港で聴くとイイ感じだ、と飛行機の中でライブを思い返しながら思った。「雨の翼」とか、「ボーダーライン」とか、「ダイヤモンドの海原」とかね。


おしまい。


福岡に行ってきた。2/現地

福岡空港に着いたのは、9時ちょっと前。街に出るには少し早い時間だったので、一休みしてメールとネットをチェックして時間を潰した後、地下鉄で一日乗車券を買って博多へ。
天神辺りのホテルは満室で取れなくて博多駅前のホテルを取ったので、博多のコインロッカーに荷物を入れて身軽になって、天神へ。とはいえ、博多駅で売店をふらふら見歩いて相当時間を潰したりしていた訳なんだけど。


天神に着いて、やっぱりふらふら歩いて時間を潰していたら11時半。早めのお昼~と開店早々のアントンへ。地下の奥まった所にある小さいお店は昭和な雰囲気。威勢の良いおばちゃんがフロアを切り盛りしてた。
食べログでも甘い!と評判のホワイトソースがどんなものか興味津々で、ドリアランチを注文。
味は普通に美味しかった。昔ながらの古典的な美味しさ、という感じ。
栗が入っているのはロイヤルホストのコスモドリアで体験済みなので違和感なし。甘いかと言われれば、確かに塩気は感じないが甘い!という程でもなく。関東人としては、あと塩を2~3振りしたら普通の味と感じるだろうというレベル。ぐつぐつと熱々のホワイトソースは少しゆるめ。ちょっとだけ、火通し過ぎちゃったかなぁという感じ。
今度行く時にはグラタンの方を食べたいなぁ、付け合わせのパンが気になる。
早々にお店に行ったせいかスムーズに入れたので気付かなかったけど、お店出るとき外の通路にお客さんが並んでてビックリした。


さて、夜のライブまでの残り数時間、何をするか。
もし福岡に来ることがあったら、したいことがあった。それを実行しようと、徒歩圏内のお店の場所はチェックしてきたのだ。無駄足上等!覚悟の上、と歩き出した先は中古CDショップ。
目的の品は「Acostic jender」とか「Domestica」とか、ネットでちょろっとその姿を見かけたことのあるKUMAMIのインディーズ時代のCD。
もうね、みんな探し尽くした後だということは分かっているし、そもそも売りに出ること自体無いだろうということも分かっている。でもね、自分の目で確かめないと気が済まない性分なん。
で、2日間で16店チェックの内、9店確認、残り7店は閉店・ジャンル違い・雰囲気的に入れなかった・店自体を発見できなかった等で未確認。ま、当然結局見つからなかったんだけど(笑)無いなら無いと分かっただけでも収穫。


しかし、それでも時間を持て余した。コーデュロイカフェは場所チェックしたけど、こっそりな今回は避けた方が良いと判断しビルの前を素通り。
そして岩田屋やソラリアステージで時間潰し。地下食料品売り場やコンビニって、出掛けた先でどうしても行っちゃう場所。かしわおにぎりってホントにたくさん置いてあるんだ~とか。その土地で根付いてる食べ物、今回注目は「マンハッタン」いうドーナッツ系の菓子パンと、「堅パン」いうごっつ堅いビスケットみたいなの、とか。見てて楽しい。
この時期のデパートはチョコレートの出店が多くて、覗いて歩いてたら気になってたショップを発見。なにせ見た目が綺麗なチョコなのだ、No Border。思わず一粒入りを購入。これなら渡さなくても自分で食べてみたいし、結局出ていっちゃった時に渡しちゃってもいいや、と。


そこからまたふらふら歩いて、ダイエーショッパーズ。ドムドムいうファストフード店が気になったから。
学生時代によく地元でお世話になった店で、懐かしくなったのだ。今や水戸にはダイエーもドムドムもない。
ドムドムで好きだったのはコロッケバーガー。親知らずが生えかけてた時にこれを食べて、コロッケのトガった衣が腫れた歯茎に当たって痛い目みた思い出の品だ。なので注文はやっぱりコロッケバーガーセット。昔より少し良くなって肉が増えてたけど、相変わらずといえば相変わらずの味。懐かしさ満載。
のんびりしてたらライブの時間が近くなってきたので、ROOMSへ。
ライブのことはライブレポの方に書いたからここでは割愛。


さらにつづく


福岡に行ってきた。1/出発前

*思ったより長くなっちゃっいました[E:sweat02]


福岡ライブ、去年のうちは「行かないな~」って思ってた。
今年に入って、迷い始めた。で、もしどうしても行きたくなった時のために、とりあえず休みの予定を出しておいた。
そしたら、いつまで経ってもなかなか2月のシフトが上がってこない。最近はシフト作る人が変わって、何ともいい加減なシフトを作りやがるので、休みの予定を出してもシフトが上がってくるまで油断ならないのだ。
結局、シフトを確認できたのは30日。休みは取れていたが、すでに当日まで1週間を切っている。諦める、という選択肢を選ぶより先に、手が旅行サイトを検索かけて飛行機と宿の予約を入れていた。
そして、行くことは黙っていようと決めた。そのことに関しては、ライブレポの方に書いたからいいとして。


準備期間も少なくて、余り福岡のことを調べなかったけど、以前からもし福岡に行くことがあったら行ってみようと思ってたところはネットで調べてあったので、ザッと買ってきた地図にチェックしてった。


で、バタバタしてる内に前日になってて、荷造りして、寝しなに電話掛かってきたりしたけど、さっさと寝て、翌朝は3時起き。
4時半頃の始発電車に乗って羽田へ。京急の駆動音が独特で面白かったり。ターミナルのお店がほとんど閉まってて残念だったけど、目的は6時40分発スカイマーク。


実は飛行機、人生2度目。九州も2度目。
高校の修学旅行が九州だったのだ。あの時は、かなり駆け足で九州を一巡りした。
ただ、個人では飛行機も九州も初。


遠足気分で空港ウロウロして、案内されるままチケット受け取って。修学旅行の時にはさんざん金属探知に引っかかった眼鏡も、今回は問題なし一発スルー。

私、飛行機好きだ。

と、ライブ以外で一番テンションの上がった、この行きの飛行機で思った。今回一番意外な発見。


飛行機に乗り込んで窓の外を見れば、昇ってきたばかりの赤く真ん丸な太陽と真正面に向き合って。美しい、朝日。
滑走路を移動する機体は、ついには太陽に向かって飛び立つ。蝋ではなく金属でできたこの機体は、この高度程度じゃ溶けはしないが、羽のパーツのメカニカルな動きや重い金属の機体が上空に上がっていくというのは、仕組みは知っていても不思議な気分。
徐々に高度を上げていく時の体に伝わる感触、不安定に揺れる機体の、自由。快感かもしれない。
上層の雲の上まで抜ければ、朝日に照らされる雲の海の上。美しいな、ここは。
進んでるのかさえよく分からない景色。景色の流れに目を回して乗り物酔いするということは無さそうだ。気圧に影響されない体だったらもっと楽しめるだろうに、と思う。
そう、そこで思った。羽田を発ってすぐ窓から見えた、一つの視界に空と海。それは美しい景色だった。どうせなら、空も海も両方がいいよねぇ、選べないよ欲張りだからさ。
そのうちに、高度が下がっていく感覚。段階を踏んで下がっていって、雲の中へ。何も見えない暗い霞の中。二つ目の雲をすこっと抜ければ、羽の下には街のジオラマ。着陸の揺れは強い衝撃。羽の上に映る太陽も綺麗だった。


なんて書いちゃうくらい、手帳のページが1ページ埋まっちゃうくらい、子供みたいに飛行機にテンションが上がってた。


で、福岡に到着。


つづく


2011年1月17日月曜日

山口達己写真展「山手線を巡る」を見てきた。

15日はライブの前に水道橋のUP FIELD GALLERYへ。
去年、石井ゆかりさんのイベント「星織」で写真を展示していた山口達己さんから写真展の案内ハガキが届いたのだ。丁度ライブの日が会期2日目だったので寄ってみた。
1週間の内に何回写真展に行ってんのさ、自分・・・とも思うけど。ま、いいや。
初めての場所だから、と念のため地図を持っていったら、、正解だった、、、しかも恵比寿でも、、、、。


写真展は「山手線を巡る」のタイトル通り、山手線の駅名が壁に貼られていて、その周りにその駅周辺で撮られた写真が何点かずつ展示されていた。
一通り見てみて、この人の写真は対象が光に溶け出していこうとするかのようだと感じた。溶け出そうとする直前のようであったり、溶解してしまっているようであったり。
おせんべい屋さんの写真がとても好みだった。それから、雨や水を写したもの。
帰り際に山口さんと少しお話しさせて頂いた。
猫の写真が数点あったので尋ねてみたら、以前に頼まれて猫の写真を撮ってから癖になっているのだとお話ししてくださった。


なかなか面白かったな。


山口達己写真展
「山手線を巡る」
2011年1月14日~30日
UP FIELD GALLERY


山口達己さんのブログ http://d.hatena.ne.jp/touchme/


それで恵比寿に向かおうとしたら、山手線人身事故で上下線止まってるし。それで埼京線で辿り着いたら、スカイウォークじゃない方の出口から出ちゃって、「ま、こっちの方行けば着くはず」て歩き出したら、合ってたけどちょっと遠回りになっちゃって焦ったけど。間に合ったから良かった~。


2011年1月14日金曜日

「植田正治写真展・写真とボク」を見てきた。

初詣の後、埼玉県立近代美術館まで足を伸ばして気になっていた写真展を見てきた。
・・・今年も写真づくしになる予感。


植田正治さんは以前テレビのアートの番組で見て気になっていた写真家さん。
絵画のような写真を撮る人で、それがダリやマグリッドのようなシュールレアリズム的な画面構成であったりする。あるいはパントマイムの舞台を切り取ったような。


舞台となるのは鳥取の砂丘、空色と砂色が背景のモノクロ写真。
遮るもののない無窮さ、果てしなさが、非日常を演出して、その中に配された者・物を異質・異物にし、異界・異空間を創り出してる。非現実性の中に浮かび上がる存在の違和感というリアリティ。
余白と対象に関する撮影者独特のバランス・距離感がとても個性的で、いい絵だった。


砂丘の真ん中にぽつんと正座する着物の女性。
太陽を掴む手。
海に向かって広げられた譜面台の上の楽譜。


の、3枚がお気に入り。
で、その3枚の写真のポストカードあるかな~とミュージアムショップ探したけど、これが無くてガッカリ。
好きな写真を選んで、その場でポストカードプリントするサービスがあったらいいのになぁ。


「植田正治写真展・写真とボク」
2010年12月18日~2011年1月23日
埼玉県立近代美術館

この美術館は、柳宗理のバタフライスツールやイームズチェアなど有名デザイナーの椅子に自由に座ることもできて、さすがに座り心地良かった~。


浦和散歩

そういえばこの間、10日の日に遅い初詣に行ってきた。
浦和にある調(ツキ)神社。狛犬ならぬ狛兎がいる。
もう10日になるっていうのに、けっこう人がいたなぁ。

手水舎の水吐きウサギ、どーん。シュールだわ。

卯年なだけに、今年はツキがありますようにー。


で、駅からの道すがらにあった鯛焼き屋さん「すずの木」でおやつに一匹。


四角い!
黒豆あん、小豆の中に黒豆がコロコロ入っていて、黒豆の風味も良い香りで美味しかったです。皮もパリパリ。
また食べたい。


2011年1月4日火曜日

やっとお正月気分♪

新年明けて、だいぶ経ちました。おめでとうございます。


去年は色々とお世話になりました。
(あちらへ、こちらへ、そちらへ、一礼ペコリ)


去年はもうなんか、スカスカでグダグダのことが多かったけど。


今年は年始から慌ただしく(ちょっとバテ気味だけど[E:sweat02])
でもなんか
「去年までのことは去年の内にあらかた区切りが付いた」
「後はもう、やると決めたことを実行に移していくだけ」
(実際はそうでもないんだけど気分だけ。笑)
みたいな爽快感があります。


この爽快感を持って今年一年過ごして行けたらいいな、と思ってます。


今年もよろしくお願いします。


あすた