2006年1月22日日曜日

「BIGGEST BIZ」を観てきた

昨日、あの雪の中「BIGGEST BIZ」を観に行ってきました。
ホントにもう、静かに幕が開いてから、どんどん加速していくスピードについていくのが精一杯。瞬間、瞬間の笑いに釣られてしまって、ストーリーの先なんて読んでる暇ありませんし、読めません。脳みそが翻弄されっぱなしで、二時間なんてあっという間でした。
「BIG」の要素はそのままに、「BIGGER」の設定も足場にして、「BIGGEST」は仕事もキャラクター達の個性もドタバタも最上級。なのに肝心の所は何も変わってない。そこが好き。
コロンボさんのモノマネは良かったなあ。
このBIZシリーズの総合的な私の感想は「社長がいなくても会社は動く」でした。


スモールシリーズはやらないのかなぁ?


2006年1月14日土曜日

「おとなの小論文教室。」を読んだ

「おとなの小論文教室。」は山田ズーニーさんという人が「ほぼ日刊イトイ新聞」というサイトで毎週水曜日に更新しているコラムなのですが、その一部が単行本になって7日に出版されました。私はとても大好きで毎週欠かさず読みに行くのですが、二年くらい前に書かれたコラムでどうしても私には理解できなかったものが、これに収録されました。それは第二章「自分の才能って?」に登場するズーニーさんの先輩の言葉です。本にするに当たって読みやすいように筋道を付けられたこのコラムを読んで、それをようやく私なりに理解することができました。一般的な正解ではないと思いますが、これが私個人の正解です。


 「やりたいことがあって、そのための才能が自分にはある」と思い込んでいて、でもそれにまったく取り組んでいないなら、それは単なる「ヒーロー症候群」の一症状で「うぬぼれ」や「自己憐憫」が発端になっている。理想の主役(ヒーロー)の自分を思い描くことは悪くないが、そうなるための行動を何もしていないなら、それは自分の人生の主役を今、演じていないということ。「今を本気で生きる」ことを理想にしていながら「今を惰性で生きている」ということ。理想像なんて、そんな遠くに焦点を絞ってる暇があったら、少しずつでも今やらないでどうする?
 主役に苦難はつきもの。ままならない道だからこそ不本意なことでも今に本気で向き合わなくちゃならなくて、鍛えられる。だから本望をつかむチャンスを逃さない。つまり、ままならない道は力を蓄えるための「準備期間」=「とじる」で、そこを通過したら理想を実現するための「スタンバイ状態」=「ひらく」ということになるんじゃないか。で、「こもる」は「逃げる」。逃げ込むことが必要な時もあるけど、籠城はいずれ無理矢理にでも開かれる時が来る。
何でも思い通りになる道はうぬぼれの道。うぬぼれて、思い上がって、自分に酔っていたら、他者なんて見えるわけがない。見ているつもりでも、見下してるだけ。
 才能については、やってみる前からとやかく言ってても仕方ない。それが現実に顕されなくては、どんなに有能な伯楽にも見出す術がないのだから。
 やりたいことっていうのは、「欲得なしに」とはいかなくても、でも結局それらが無くても、やってしまうこと、楽しいと感じること。人間誰しも同じように持っている時間や能力を、自分が何に集中的に割り振ってきたか。その中に見出せるもの。「好きこそものの上手なれ」。自分の身の回りにある全て、持っている物、服、CD、読んだ本、毎月買ってる雑誌、仕事、友人、家族、食事、掃除、睡眠、自分の心、自分の体…何にでも、自分が選んできたそれら全てをじっくり見てみれば、そこには自分のカケラが隠れていて、「やりたいこと」のヒントもそこにある。ヒントだけ。なぜなら本当は「”今”の”自分”」より外(未来とか社会とか自分以外の人とか)に求めても見つからないものだから。メーテルリンクの「青い鳥」の通り。どうにも見つからないなら、それはつまり「あらゆる可能性を今持っている」ということ。何にでもなれるし、何色にも染められる。
 でも実は「やりたいこと」なんていつでも取り替え可能で、「今に本気で取り組む自分」は今を逃したら、ない。「やりたいこと(理想)=自分」じゃなくて「やりたいこと(理想)に本気で取り組んでる自分=自分」だってこと。


とはいえ、こんな偉そうなことを言ったって、、私自身これを完璧にできているわけでは全くなくて。いつでもヒーロー症候群の穴に落ち、無気力につまずき、人間関係に打ちのめされていて、でも何度でも、また立ち上がって歩き出す。そうやって何度も経験して、冷静に平静に非情とも言える眼差しで自分自身をコントロールしていけるように学んでいる真っ最中なのです。まあ、のんびりとがんばります。


今回はいつになく、いっぱい書いちゃったなぁ。まあ、それだけこのテーマが私にとって切実だったってことなんだよね。