2005年1月21日金曜日

3時のお茶

今日はお休みで何の用事もなかったので遅起きしたあげく、前に買った花茶で久しぶりに3時のお茶をしてみた。

花茶と黒糖かりんとう、なかなか良い組み合わせである。

普段はカフェオレ(砂糖なし)を常飲しているので、茶とつく飲み物は滅多に飲まないのだけれど。
そんな滅多と飲まない茶の中でも、日本茶なら玄米茶、中国茶なら花茶が好き。
でも紅茶のフレーバーティーは苦手。香りがあっても味が無いという欠落感がどうにも気になって堪らない。きっと飲んだことのあるフレーバーティーがアップルやオレンジであったことが原因。
その点、花茶はそもそも花の香りに味はないので欠落感を感じることなく香りを楽しめるのです。
おいしいお茶と丸一日のんびり過ごす…幸せ。

唯一の問題は、ティーポットを持っていないためにパイレックスのメジャーカップで代用したこと。こんな時にガラスの急須が欲しいなぁと思うんだけど、でも滅多に使わないんだよなぁ…。


2005年1月9日日曜日

「SHIROH」のCDが届いた♪

劇場で予約してきた「SHIROH」のCDが届きました。観た後すぐにでも感想を書きたかったのですが、年末年始はバタバタしていてすっかり忘れていました。なのでCDを聴きながら物語を思い返しています。

私は島原の乱について中学校の教科書程度にしか知らなかったので、この物語は民衆の盲信に崩れていく指導者の話なのかと勝手に想像して胃が痛くなっていましたが(アホですね)、全く違いました。

ああ、でもやっぱり四郎の父・甚兵衛が四郎に言うセリフ「人は信じられるもの求めてる。お前はただそれを受け止めればいい」は、痛かったです。だって何万という人間の盲信の的になるなんて恐怖でしょ。

きっとシローは四郎が失ったと思い込んで置き忘れてきてしまったものを心に掲げて生きていて、それを四郎にそして民衆に自らの内に未だあると気付かせるための存在であったのではないかと思うのです。だって、シローと民衆が振り上げた拳には確かに神が宿っていたろうと思うから。

唯一の生き残りが語って聞かせているという設定なので何かダイジェストっぽくて、登場人物の心の動きの描写が薄くなってしまっているように感じたのが少し不満でした。もっと深い葛藤や苦悩や想いがすべての登場人物にあるはずで、そこに興味を惹かれるので。

できることなら、ぜひとも「髑髏城の七人」のように小説化を希望。やっぱ、そういう細かい心理描写は舞台表現より小説に分がありそうだから。


月が欠けるは エゴの影
この世を生きる者ならば
満月もあれば新月もある
それでいい
満ちたままでは居続けられず
陰ったままで居る必要もない


2005年1月1日土曜日

あけましておめでとうございます

元日も朝から一仕事終えてきました。

24時間・年中無休のサービス業、あまりの普段との変わらなさに正月って何?って感じです。まあ正月に休みは取れないことを見越して年末に3連休取っちゃったから仕方ない。ここ数年ずっとそんな調子だから、初詣にも行かないし。なんだか昨日の続きだけ生きてる。

あ~やだ、やだ。たとえ人間がつくった年中行事を無視し続ける生活でも、地球のリズムたる季節感まで忘れたくはないもんだ。雪や雨が降るたびに厄介だと舌打ちするなんて荒んでる。カレンダーをめくって日々を消化するだけの生活じゃなくて、霜柱踏んだとか、花が咲いたとか、春一番が吹いたとか、犬が冬毛抜けてスリムになったとか、そういうたわいもないことにちゃんと気がついていけること。

これ今年の抱負。