2012年12月10日月曜日

高砂淳二さん写真展・二本立て

もうだいぶ経っちゃったけど、月初めの頃に高砂淳二さんの写真展を見に行ってきた。


ひとつは新宿のコニカミノルタプラザで開催されている、
特別企画展「そら色の夢」


色とりどりの空の写真や映像作品が展示してあった。
ユウニ塩湖で撮影された、空を鏡写しにした写真は不思議な美しさで。
何より見たかった大きな星空の写真パネルは、空と塩湖に広がる星粒が、まるで宇宙に放り出されたみたいな浮遊感。とても好きな感覚。


高砂さんの写真の色彩は本当に、写真に切り取られても、その空間にあった情報をほとんど損なわずに保っているように思える。エネルギーのようなものを。


見に行った日はトークイベントがあったので拝聴したら、なんだか不思議な気分になった。
高砂さんは虹をテーマに追いかけて世界中を旅しているせいか、現地のネイティブの人たちと出会うことが多いようで。話の中にもネイティブハワイアンやネイティブアメリカン、ネイティブカナディアンの人たちが出てきて。
昔からネイティブアメリカンに興味を持って本を読んだりしてきたけれど、最近はすっかり縁遠くなっていたことに思いがけず気付かされた。写真や高砂さんに興味を持ったのは全く自分にとって新しい流れだったはずなのに、こんなところで昔の自分の流れに再会したことに驚いた。


高砂さんの写真には自分の根っこに触れる何かがあるのかもしれないな。


もうひとつは、もうおわってしまったけれど、京橋にあるISLAND GALLARYで開かれていた、
ベストセレクション写真展「夜の虹の向こうへ」


こちらは新しく発売されたエッセイ集「夜の虹の向こうへ」に合わせて開催されたもので、私はこの本をコニカの方で買ってサイン貰ってきた。正月に実家に帰った時に、じっくり読むつもり。


ここで一番魅かれた写真が、大きな木の写真だった。
パネル自体は小ぶりのものだったけれど、木の大きさはかなりのものに思えた。ほんとに木ってすごい生き物だなと思う。

夜の虹はハワイでは「最高の祝福のしるし」と言われているらしい。
私にも祝福のお裾分けがあるかな。そして運んでいけるかな。つぎへ、そのつぎへ。


2012年1月4日水曜日

2012ねーん

明けてからだいぶ経ちまして、おめでとうございます。
今年も、きっとみんなのお世話になることと思います。
よろしくお願いします。
(あちらへ、そちらへ、こちらへ、一礼)


去年は細々と始めてみたことがあり、そっちをどういう形に育てていこうか思案中。
おかげで飆庵は放置気味になってしまったので、今年は「飆庵の更新もマメにしていこう計画」と「飆庵カオス化計画」を練りつつ。
定期的な更新を継続するものばかりなので、書き物マラソン的な一年にちゃんとなるように頑張ろう自分、無理なく小さくコツコツと積み上げていこう。
それからシューカツも地道に、ぺちゃんこになっていじけるだろうけどアメーバみたいにゆるゆると抜け出しながら、合流できるところを探そう。

近頃思うのは、できることは一つだけじゃないということ、やりたいことを一つだけに絞る必要はないということ、全部欲しいって言っても良いってこと。
体は一つしかないから一本道しか進めないとしても、行ってみたい小道が複数あるなら全部を束ねて大道にして進んだっていいよね。


みんなの計画もひとつひとつ実現の芽が出ますように。
猫の手や文殊の知恵が要るなら貸し合えますように。
いいこともわるいことも大晦日には笑い飛ばせるような一年でありますように。


2011年8月28日日曜日

岡本敏子さんという人

「明日の神話」を見にいったブログを書いて以来、それまで全く興味なかった、むしろ苦手だった岡本太郎という人に、興味が湧いた。そして本を読んだりドラマを見たりしている内に、だんだん岡本太郎さんよりも岡本敏子さんに興味が移ってきた。


なので図書館で本を借りてみた。
恋愛について、話しました。
岡本敏子さんとよしもとばななさんの対談集。
彼女の著作ではなく対談集を選んだのは、対話の形式の方が根本思想があらわれやすいだろうと思ったからだ。表に出る、その人となりを見てみたかったから。そして、一番新しい本のようだったから。


読んでみて、なんて自由な人なんだろうと思った。
「恋愛について」話しているのにもかかわらず、いわゆる女子バナにはならないカラッとした爽やかさ。そのじめついたところのない自由な真っ直ぐな気風が気持ちよかった。彼女の型にはまらない生き方がやはり興味深かった。


読んでいて心に残ったのは、「恋愛」とは全然関係ないことだけど。
おかしいものは「おかしい」と、嫌なものは「嫌」と、違和感は「違和感」と言っちゃっていいんだ。遠慮もいらなければ、理解さえいらないんだ。
ってこと。
それは、時々酷く恐ろしく感じること。拒絶を恐れて遠慮して、理解を求めて無理解を恐れる。それでも、自分に見えているものを聞こえているものを表現していいんだ。と思えた。


「いいのよ」と言う、あっさりした声が本から聞こえてきそうだったもの。実際に聞いてみたかったな。会って話してみたかった。そう思う人が一人一人と増えていく。


(今ふと思ったのは、理解と共感は別のものかもしれないってこと。理解の反対は無理解、共感の反対は無関心?それとも反感?愛の対義語は無関心だったか。じゃあ、愛と共感は近似のものなのかな。正しい理解を手放して、相手の感受に委ねること。前にもそんなこと書いた気がする、、、そうだ「bridge」のときだ。知識による解剖的な理解は「分断」だろうか。共感は既知に起因する全的な受容だろうか。太郎さんとクリシュナムルティは似ているかもしれない。・・・・・・ヘリクツ失礼)



2011年7月6日水曜日

ハワイの写真

日曜日に図書館に行ったとき、最近どうにも気になって仕方ないので高砂淳二さんの本を探してきた。


写真集「虹の星」はさすがに大きくて重かったので館内で見るだけにしたけど、やはり「虹」が自分にとってキーワードになっているようだと感じた。なんせ他の作家さんの本を探していて何気なく手に取った本も虹の物語だったし。


大きさが丁度良かったので高砂淳二さんの「ハワイの50の宝物」という本を借りてきてみた。綺麗な写真とハワイの文化などを語るコラムでできた本。とてもゆったりした気分で読んだ。こういう本を読むと行ってみたくなる。言葉とか民俗学的な独自の文化って、ホント面白い。


今、明治神宮文化館で開かれてる『海森彩生』写真展の8/17(水)~8/23(火)のゲスト写真家が高砂淳二さんだから、また見に行ってみようっと。他のゲスト写真家さんも気になってるんだよね~。


2011年7月2日土曜日

「想像より、おもしろい。ハワイ」展を見てきた。

見てきたといっても、もう先週のことなんだけれども。
会期が終わらないうちに感想を書きたかったのだけれど、ひとつ引っかかることがあって、なかなか書けないでいた。


写真はどれも素晴らしかった。
私はハワイになんの思い入れもない人間だけれど。
色鮮やかで美しく、生き生きとした写真たちだった。作品も、そのひとつひとつに付けられた写真家さんの短いコメントも、パネルに書かれた「アロハ」や「ホ・オポノポノ」の言葉の正しい意味の解説も、つながりあって優しくて和やかな世界観を生み出していた。


夜空や夜の虹の写真を見ると、相当良いカメラ使ってるんだろうなぁと思ったり。
どの写真も良かったけれど中でも、虹の中を飛ぶ一羽の鳥の写真がお気に入り。それから、真ん丸に円を描いた虹の写真。


写真を一通り見て、世界観を観じて、心に浮かんだのが「なぜ私は今、『ここ』に居ないんだろう?」という、せつない気持ちだった。
この気持ちが上手く掴めなくて、実のところ未だによく理解できてないでいる。

別にハワイに行きたいとか、住んでみたいとか、そういうことじゃない。まあ、行けるなら行ってみたいけど、、、っていうくらいしか思ってない。だから『ここ』は、きっとハワイという土地そのものじゃなく、その世界観なんだろうなと思う。
そして、その疑問形の問いからして、「私は今『ここ』に居るべきだ」が心に底に気付かずにあった想いなんだろう。
しかし、どうしたらいいのか分からない。いっそ行ってみたら分かるんだろうか、、、無理だけど(悩)


企画展『「想像より、おもしろい。ハワイ」展 ~自然写真家 高砂淳二が伝えるハワイ~』
http://fujifilmsquare.jp/detail/11061701.html





【2012.2.5追記】
この記事を書いてからだいぶ経ち、気付いたことがある。


この写真展に展示されていた写真の中で、砂浜に寝転ぶ一匹のアザラシの写真があった。
遠景には高層ビルが建ち並ぶのが見える誰も居ない砂浜で平穏に寝転がっているアザラシは、ハワイアンモンクシールという絶滅危惧種に指定されているアザラシだった。


その写真を見た時、「たとえ明日 絶滅するとしても、今 幸せに生きて良い。」という言葉が私の心の中に浮かんだ。


野生に生きる中、食事も得られない時もあるかもしれない、他の動物に襲われることもあるかもしれない、最後の一匹になるかもしれない、明日には絶滅するかもしれない。
決して楽な生ではないとしても、穏やかな今この瞬間には安んじて幸せで居て良いんだ、と。


私もそう生きて良いんだと、思った。誰でもそう生きて良いんだと、思った。