2011年4月6日水曜日

掴んだもの

昔話から始めよう。
昔々、私は軽さを求めていた。
紙のように薄く、ガラスのように透けるほど、塵芥のように軽い、風のような生き方。
飄々と生きているように見られていたから、表面的には成功していたんだろう。でも「求めている」ということは、本当には手に入れてないということ。記憶とか、感情とか、変なプライドとか、ルールとか、常識とか、いろんなものが重石になって、振り解けずに繋がれている感じがとても嫌だった。


時々ふと頭をよぎる「諦めて心を殺そうか?諦めて体を殺そうか?」などという択一を日常生活の中で濁して生きている内に、選ぶより先に心がパンクした。粉々に散らばった心を前に精神は自失して、脳に刻み込まれたルーティンがただ体を動かし続けていた。精神が停止していても、それまでのプログラム通りに体が機能していれば誰も何も気付かない。
相変わらずの日常を人前で動き一人になると指一本も動かずに、目を開けたまま、あるいは目を閉じて眠っていた。そんな風に木のように貝のように生きている人間は、ゾンビだった。そりゃそうだ。人の目に入らなくとも、木は木同士、貝は貝同士でちゃんとコミュニケーションとって生きているのだから。人は木にも貝にも、なれない。


そんな日々を過ごしていたある日、
目を開けたままの微睡みの中、
心臓の音が聞こえた。
ザクザクと血液を送り出す音。
しばらく耳を傾けて、
そして、ふと目の前に手をかざして見た。
「この体この細胞は死にたいなんて微塵も思ってないんだな」
と思った。
「なら死ぬまで生かしてやらなきゃいけないな」
と思った。
「でも今までの自分じゃ生きられないな」
と思った。


丁度良く自失状態だったので、どちらにせよ「生きる」には「自分」を拾い集めていかなければならなかったから、どうせなら生き易い自分を新しく組み上げようと思った。
名前、誕生日、家族、友人、と拾い集めていった。最初に拾うか捨て置くか迷ったのは「書くこと」「考えること」だった。いっそ自分の持っている全ての筆記用具も本も捨ててしまおうと思った。書かず、考えず、生きれば楽だろうと思った。思ったそばからそれを書き留めている自分を発見して、どうも無理らしいと思い直した。後日、山田ズーニーさんの「考えない不自由」に関する文章を読んで、「考える自由」の方を拾った。


生き易い生き方を求めて、本を読み漁った。自己啓発本もスピリチュアルも哲学も宗教書も心理学も、真面目なのも怪しげなのも、学術書も漫画も。挙げ句「どの本も言ってることは大して変わらない」と感じ始めた頃、クリシュナムルティとフランクル博士の本に出会い、この手の本を集中的に読むのはこの2人の著書で打ち止めになった。


世界の見方、認識の仕方が変わったことで、今の自分はだいぶ生き易くなったと思う。


そしてそんな記憶も薄くなってきた頃、311・今回の地震がきた。
ゆっさゆっさと揺れるアパートの中に一人で、「アパートが崩れたら」と思ったら「死ぬかな」と続いた。どんどん強くなる揺れと一緒に「死ぬ?」「生きる?」の間を心が迷走して、ためらいながら「助けて」を掴んだ。
後で冷静になった頃、「ああ、やっぱり結局、生きる方を選ぶんだなぁ」としみじみ感じた。
きっとこれからも、死ぬまで「生きる」方を掴んでいくんだろうなぁ、と。


じゃあ、どうしよう?と考える。
これまでは、それでも少し投げやりな気持ちを拭えずに「いつ死んでもいいや」と思っていた。でも体や脳の根っこの部分で結局「生きる」を掴んでしまうなら、厭世的な意識も諦めが肝心だ。
前回は生き易さを求めて、世界の見方を変えた。
「今回は?」と自問したら、「悔いのなさ」と自答が返った。
「いつ死んでもいい」のレベルを上げて、「いつ死んでも満足」に生きる。
かなりハードルが高い。きっと何度も忘れては、取りに戻る言葉になる。けど、そういう風に生きたい。


今日、だから書く。忘れないように。