2011年4月9日土曜日

水戸で、

3月末に水戸に帰ってきた。
地震の影響を見た。色んな話も聞いた。
上手く文章にまとめようと思ったのだけれど全然まとまらない。
だから、まとまってない文章で書いてみる。


高速バスで帰ったのだけれど、高速道路はかなり直っていて「さすが土建王国・茨城」と思った。
水戸駅もホームが崩れたりしていたけれど、4月には鉄道も開通している。駅ビルやマルイは閉鎖されてて、駅前のペディストリアンデッキも通行止めになっていたけれど。
梅祭り真っ盛りだったはずの偕楽園はあちこち崖崩れが酷いらしくて閉園になっていた。隣にある常磐神社には入れたけれど、大きな石灯籠が軒並み横倒しに崩れたままになっていた。


他の神社では鳥居の倒れたところもいくつかあった。
屋根瓦の落ちた民家もかなりあって、ブルーシートが掛けられていた。聞いた話では、新築の家が全壊したなんて所もあったらしい。オール電化の家は停電中にガスが復旧しても火が使えずに困ったという。
前に働いていたコンビニでも、道路に面したガラス面がヒビ割れして全て入れ替えしたと言っていた。ビン類も相当数落ちて、新しく入荷した分は箱に入れたまま床に置かれていた。水の購入も一人一本に制限されていた。
水戸市内ではガソリンスタンドはわりと開店していて、まだ閉店したままのスタンドは貯蔵タンクが壊れているからだと聞いた。


親戚には農家をしている人もいる、母の知り合いにも農家の人がけっこういる。
出荷制限を受けたホウレン草農家の人は「ご自由にどうぞ。ただし何かあっても責任は負いません」と畑に張り出したところ、1時間で畑一面のホウレン草がキレイサッパリ消えたそうだ。
風評被害で米が返品されてきたという話もあった。米は去年とれたもの、建物の中で保存されて、精米され、袋詰めされている。何の問題もないのに、と。
むしろ、今年の米が作付けできるかどうかの方が問題だと言っていた。野菜はハウスで雨風を避けることができるけれど、米はどうしても雨風に曝されてしまうから。
関東・東北一円で米が作付けできないようなら、年末から来年そしてそれ以降も米不足と米の値上がりは避けられない。備蓄米だって支援物資として放出されているだろうから。
魚に関しては、まだ今は問題ないけれど。食物連鎖というものがある。イタイイタイ病や水銀の問題と同じで、長い時間を掛けて蓄積されていく。それが、これからの問題。


南相馬は父の実家のある土地。向こうの親戚たちは無事だけれども、みんな方々に避難していった。
祖母たちのお墓もお骨も位牌も流されたと聞いた。実家の家も骨組みだけ残して中身は全て津波に浚われたと。伯母はもう帰る気はないと話しているようだ。
原発事故で立ち入り禁止になった区域では、被害者の遺体の収容作業もできず放置されている。東北では地震から1週間後に救助された人たちがいたが、原発周辺地域では生存者がいたとしても見殺しにされた。そういう話を聞いた。


それでも、あの塔が倒れなくて良かったと思う。建ったばかりの頃はあまり好きじゃなかったんだけど。ニュースであれが映れば水戸だとすぐわかる。


そして、人事に関係なく、花は咲き、実り、子は生まれ、季節は移り、地球は生きてる。私は自分が核物質や原子力、放射能などのこと、どれだけ無知だったかを痛感する。
うん、but...Life goes on。