土曜日に「自然の造形美展~Nature Art Exhibition~」を見てきた。
「宙 -sola-」という植物をアクリルキューブに閉じ込めた作品あって、以前からネットでは見たことがあったのだけれど、実物がどんなものなのかを見てみたくて足を運んでみた。
ネットで見たときから気になっていたタンポポの綿毛をアクリルキューブに入れたものは、やはり綺麗だったな。なんであんなに丸っと閉じ込められるのか不思議。
他にも花や種子のバージョンや、鉱石や化石のバージョンもあった。
基本的に正方形だけなのかと思っていたけど、他にも色んな種類の桜の枝を長方形の大きめのアクリルキューブに閉じ込めたものも展示されていた。
風に乗る種子を集めたブロックもあったな。
あとホウガンヒルギというマングローブに生えている木の実が、パズルのように21個の形もバラバラに分かれるものを、アクリル板で支えるようにして球体の状態に展示してあったり。
学術展示もこんな風に見られたら面白いしオシャレだろうなぁ。
6面方向から何の邪魔もなく壊れる心配もなく、じっくり眺められるってすごいと思う。
そのままを空気中で保存したら、劣化も風化も色褪せも免れないし。
眺めるにしたって、支える指で隠れてどうしたって全体を見ることは難しい。
まるでパソコン画面の中の3D画像を六面体に切り出した、みたいな感じ。
他にも、鉱物標本をギフトボックスみたいなシンプルな白い小さな箱に入れたものや、ウニの殻を置くためのキノコ足のホルダーとか、好きな人はコレクションしたくなっちゃうだろうなぁというものがあった。
なかなか何個も買いそろえるのは難しいかな、という印象。
ふと、一定期間レンタルして飾って眺めて返却したら次は別の種類のを一個レンタル、みたいなことができたら面白いかな、と思った。難しいか。
http://gallerykissa.jp/nature-art-exhibition/
その足で、「アトリエとキッチンのマルシェ」にも立ち寄ってみた。
手作り市のようなイベント。やっぱりおもしろいなぁ。いろんな人のいろんな作品。
すぐには買えなくても、そういう事をしている人やそういう物を作っている人がいるということを知っていれば、何かの時に思い出す引出しになるし。
動物ステッカーやお菓子など、軽めでお手軽なものを買った。
http://1x3x1.jp/131marche/eventdetail/
浅草橋周辺はホント面白い街だなぁ。何か創ってみたくなる街。
2013年6月9日日曜日
2013年6月5日水曜日
どこでもスローライフ
けっこう昔から好きで読み続けているブログがいくつかあって。
その中の一つが、
ニューヨーク・スローライフ http://blog.nyslowlife.com/
というブログ。
ニューヨーク在住のブログ主・よっちゃんのスローライフがテーマのブログ。
料理やレシピなど食に関することが話題の中心だけど、他にも生活全般を日記的に綴られている。
スローライフの食といっても、ガッチガチの食餌療法的なものではなく、もっとゆるやかな感じで。
その食品がどこから来たのか、何が入っているのか、どんなふうに作られているのかが、明瞭な健康な食品を無理し過ぎないで美味しく食べていこうよ。
といった雰囲気。
雰囲気は緩やかだけど、ブログ主さんはきちんと自然食の料理学校 Natural Gourmet Institute For Health & Culinary Arts を卒業されているので基本はしっかり。
いつもブログにアップされる料理の写真が美味しそうなんだな。
そしてずっと挑戦してみたいと思いながら、なかなか作れないでいるのがカシューナッツのクリーム。生のカシューナッツを気軽に買うってことがなかなかないからなぁ。
で、なんで今頃そんなことを書いたかといえば。
懐がぬくかったので、以前発行された著書をようやく買ったからなんだね。
ブログをギュッと凝縮したような本かな。
レシピはやっぱり、ネットより本の方が見易いと思う。うん。
やっぱ、こういうのが好きなんだなぁ、私。
と、感じてしまった。
エコロジーとかサスティナブルとかオーガニックとかスローなんちゃらとか、つまりそういう思想からくる行動や物。
まあ、トレンドやブーム用に付けられた名前とか本当はどうでもいいんだけど、まわりくどい説明をスキップするにはちょうどいいか。
興味のない人には全く興味がないことなんだよね。こういうことって。
姉妹でもぱっかりと興味のあるなしが分かれるし。
それはそれでいいと思ってるんだ、無理強いすることではないと思ってるから。
でもきっと私の周りには今後こういうものが増えてくる、という予感。
どんな風に生きるか、の最初の一歩。
それを示すのが、私にとっての本というもの。
だから本棚の本のラインナップで今の自分が見えてくる。
今、本棚の本が相当入れ替わっている。おもしろい。
その中の一つが、
ニューヨーク・スローライフ http://blog.nyslowlife.com/
というブログ。
ニューヨーク在住のブログ主・よっちゃんのスローライフがテーマのブログ。
料理やレシピなど食に関することが話題の中心だけど、他にも生活全般を日記的に綴られている。
スローライフの食といっても、ガッチガチの食餌療法的なものではなく、もっとゆるやかな感じで。
その食品がどこから来たのか、何が入っているのか、どんなふうに作られているのかが、明瞭な健康な食品を無理し過ぎないで美味しく食べていこうよ。
といった雰囲気。
雰囲気は緩やかだけど、ブログ主さんはきちんと自然食の料理学校 Natural Gourmet Institute For Health & Culinary Arts を卒業されているので基本はしっかり。
いつもブログにアップされる料理の写真が美味しそうなんだな。
そしてずっと挑戦してみたいと思いながら、なかなか作れないでいるのがカシューナッツのクリーム。生のカシューナッツを気軽に買うってことがなかなかないからなぁ。
で、なんで今頃そんなことを書いたかといえば。
懐がぬくかったので、以前発行された著書をようやく買ったからなんだね。
ブログをギュッと凝縮したような本かな。
レシピはやっぱり、ネットより本の方が見易いと思う。うん。
やっぱ、こういうのが好きなんだなぁ、私。
と、感じてしまった。
エコロジーとかサスティナブルとかオーガニックとかスローなんちゃらとか、つまりそういう思想からくる行動や物。
まあ、トレンドやブーム用に付けられた名前とか本当はどうでもいいんだけど、まわりくどい説明をスキップするにはちょうどいいか。
興味のない人には全く興味がないことなんだよね。こういうことって。
姉妹でもぱっかりと興味のあるなしが分かれるし。
それはそれでいいと思ってるんだ、無理強いすることではないと思ってるから。
でもきっと私の周りには今後こういうものが増えてくる、という予感。
どんな風に生きるか、の最初の一歩。
それを示すのが、私にとっての本というもの。
だから本棚の本のラインナップで今の自分が見えてくる。
今、本棚の本が相当入れ替わっている。おもしろい。
2013年4月29日月曜日
「無印良品BGM写真展・島のケルト 音と風光」を見てきた
無印良品BGM写真展
「島のケルト 音と風光 アイルランド、スコットランド、コーンウォール、ブルターニュ」http://www.muji.net/lab/ateliermuji/exhibition/130426.html
2013年4月26日(金)-6月9日(日)
土曜日に、この写真展を見てきた。
さすがに土曜日の有楽町MUJI。人でごった返していたけれど。
2階の奥にある展示スペース「ATELIER MUJI」は、買い物に夢中の人たちにはまるで見えていないかのように人がいない。いてもポツリポツリといったところ。
前に来た時もそうだったから、いつものことなのだろう。
ここまで人がごった返していたら、写真見る気も失せるからむしろ歓迎。
思ったよりたくさんの写真パネルが展示されていたな。
エンヤとかStone Ageとかの音楽好きだったから、ケルトには元々興味があった。
「さすがにファンタジーというジャンルが生まれた国の景色だなぁ」という変な感心の仕方をしてしてしまったのだけれど。
暗い森や、風が吹き抜けるような草原や、水の湧く祠や、満潮になったら孤立してしまいそうな水上の一軒家や、大きな木の前に立つアイリッシュダンサーの少女のドライアードのような美しさなど。
ファンタジーやRPGが好きだった身としては、挿絵で見た景色がそこにある感じがして。
一回くらい行ってみたい所だよなぁ、なんて思ってみたり。
でも一番気に入ったのは、砂浜を歩く犬とその後をついていく小さい女の子の写真。
犬が女の子を気にするように後ろを振り返っている。
微笑ましい写真だった。
6月までやってるから、もう一回くらい見に行ってもいいな。
そういえば写真見てたら、いきなり写真を撮り始めた人がいたんだけど。
写真家の人だったのかな、それとも全く無関係のお客さんだったのかな。
ちょっとビックリした。
「島のケルト 音と風光 アイルランド、スコットランド、コーンウォール、ブルターニュ」http://www.muji.net/lab/ateliermuji/exhibition/130426.html
2013年4月26日(金)-6月9日(日)
土曜日に、この写真展を見てきた。
さすがに土曜日の有楽町MUJI。人でごった返していたけれど。
2階の奥にある展示スペース「ATELIER MUJI」は、買い物に夢中の人たちにはまるで見えていないかのように人がいない。いてもポツリポツリといったところ。
前に来た時もそうだったから、いつものことなのだろう。
ここまで人がごった返していたら、写真見る気も失せるからむしろ歓迎。
思ったよりたくさんの写真パネルが展示されていたな。
エンヤとかStone Ageとかの音楽好きだったから、ケルトには元々興味があった。
「さすがにファンタジーというジャンルが生まれた国の景色だなぁ」という変な感心の仕方をしてしてしまったのだけれど。
暗い森や、風が吹き抜けるような草原や、水の湧く祠や、満潮になったら孤立してしまいそうな水上の一軒家や、大きな木の前に立つアイリッシュダンサーの少女のドライアードのような美しさなど。
ファンタジーやRPGが好きだった身としては、挿絵で見た景色がそこにある感じがして。
一回くらい行ってみたい所だよなぁ、なんて思ってみたり。
でも一番気に入ったのは、砂浜を歩く犬とその後をついていく小さい女の子の写真。
犬が女の子を気にするように後ろを振り返っている。
微笑ましい写真だった。
6月までやってるから、もう一回くらい見に行ってもいいな。
そういえば写真見てたら、いきなり写真を撮り始めた人がいたんだけど。
写真家の人だったのかな、それとも全く無関係のお客さんだったのかな。
ちょっとビックリした。
2013年4月1日月曜日
発電について考えてみた
2年前の311の日から、少し考えてきていたんだけど。
浅いながら、思いついたアイデアがある。
大きな施設で大きく電力を賄うというのは、そのぶん大きなシワ寄せもあって。
処分先の決まらない核廃棄物であったり、村ひとつ潰して作る巨大ダムであったり、枯渇しかけている石油や天然ガスであったり。
そういうのは、できたらもういいかな、という思いがあって。
マイクロ水力であるとか、太陽光発電であるとか、R水素であるとか。
技術的にはいろいろたくさんの方法が既にあって。そういう小さな方法を複数組み合わせて使えるようになっていったらいいんじゃないかなぁ、と思っている。
で、思いついたアイデアなんだけど。
そんな地産地消的な発電方法の一つとして、人力発電があってもいいんじゃないかとぼんやり思っているんだ。
電車の乗降でも発電ができるくらいなら、もっと効率よい発電技術と蓄電技術を開発できたら、人間が集中的に体力使って発電したら、エコでクリーンで、雇用も作れていいんじゃないかなぁ。お金はかかるだろうけど、原発にかかるコストと同じくらいの金額使えたら十分賄えそうじゃない。
都市でも発電できるようになるし。地方でも24時間稼働の工場に派遣労働しに行く人もいるくらいだから、募集したら人集まるんじゃないかなぁ。
なんてさ。
穴だらけのアイデアというか単なる思いつきをちょっと言ってみただけだから、難しいこと突っ込まれても困っちゃうんだけど。
今日、エイプリルフールだし、大目に見てもらえると嬉しい。
浅いながら、思いついたアイデアがある。
大きな施設で大きく電力を賄うというのは、そのぶん大きなシワ寄せもあって。
処分先の決まらない核廃棄物であったり、村ひとつ潰して作る巨大ダムであったり、枯渇しかけている石油や天然ガスであったり。
そういうのは、できたらもういいかな、という思いがあって。
マイクロ水力であるとか、太陽光発電であるとか、R水素であるとか。
技術的にはいろいろたくさんの方法が既にあって。そういう小さな方法を複数組み合わせて使えるようになっていったらいいんじゃないかなぁ、と思っている。
で、思いついたアイデアなんだけど。
そんな地産地消的な発電方法の一つとして、人力発電があってもいいんじゃないかとぼんやり思っているんだ。
電車の乗降でも発電ができるくらいなら、もっと効率よい発電技術と蓄電技術を開発できたら、人間が集中的に体力使って発電したら、エコでクリーンで、雇用も作れていいんじゃないかなぁ。お金はかかるだろうけど、原発にかかるコストと同じくらいの金額使えたら十分賄えそうじゃない。
都市でも発電できるようになるし。地方でも24時間稼働の工場に派遣労働しに行く人もいるくらいだから、募集したら人集まるんじゃないかなぁ。
なんてさ。
穴だらけのアイデアというか単なる思いつきをちょっと言ってみただけだから、難しいこと突っ込まれても困っちゃうんだけど。
今日、エイプリルフールだし、大目に見てもらえると嬉しい。
2012年12月29日土曜日
愛情表現について考えてみた
2012年最後の更新に、ふと思いつたことを書き置いておこうと思う。
まだ浅い考察だけれども。
愛って、いうもの。
私は一つのエネルギーの形や一つの方向性を持つものとして認識しているけれども。
その愛を伝える愛情表現となると、十人十色・千変万化、それぞれの人の数だけある。
だから、どうやったて人は自分なりのやり方でしか愛を表現できなくて、愛せなくて。
また、自分の方法を愛として認識しているから、ほかの人のやり方が愛として認識できなかったり、受け入れられなかったりする。
だけど、みんな自分の愛情表現をたくさんの人に受け入れてほしいと思ってるんじゃないだろうか。
でも、どんな表現でもたくさんの人に伝えるとなると技術や経験が必要になってくる。
それは愛情表現も例外じゃないと思う。
そのために、親だったり、兄弟だったり、友人だったり、子供だったり、恋人だったり、奥さんだったり、旦那さんだったり、といった安心できる人たちを相手に、自分なりの愛情表現を試行錯誤して練習して学んでいくのだと思う。お互いに試行錯誤して学びあっているのだと思う。
たくさんの人の表現方法を知ったり、自分の表現方法の稚拙な部分と正面から向き合ったり、心痛めたり温めたり、を繰り返して磨きをかけて。
そうして表現方法を洗練させていって、よりたくさんの人とつながったり、たくさんの人に届けたりできるようになるんじゃないだろうか。
一人では、一足飛びには、行けないんだろうと思う。
そして無頓着でいれば、子供の表現方法しか知らないまま大人になってしまうのだろう。
そんなことを考えてみた年末でした。
それでは今年はこれまで。皆さま、良いお年を。
まだ浅い考察だけれども。
愛って、いうもの。
私は一つのエネルギーの形や一つの方向性を持つものとして認識しているけれども。
その愛を伝える愛情表現となると、十人十色・千変万化、それぞれの人の数だけある。
だから、どうやったて人は自分なりのやり方でしか愛を表現できなくて、愛せなくて。
また、自分の方法を愛として認識しているから、ほかの人のやり方が愛として認識できなかったり、受け入れられなかったりする。
だけど、みんな自分の愛情表現をたくさんの人に受け入れてほしいと思ってるんじゃないだろうか。
でも、どんな表現でもたくさんの人に伝えるとなると技術や経験が必要になってくる。
それは愛情表現も例外じゃないと思う。
そのために、親だったり、兄弟だったり、友人だったり、子供だったり、恋人だったり、奥さんだったり、旦那さんだったり、といった安心できる人たちを相手に、自分なりの愛情表現を試行錯誤して練習して学んでいくのだと思う。お互いに試行錯誤して学びあっているのだと思う。
たくさんの人の表現方法を知ったり、自分の表現方法の稚拙な部分と正面から向き合ったり、心痛めたり温めたり、を繰り返して磨きをかけて。
そうして表現方法を洗練させていって、よりたくさんの人とつながったり、たくさんの人に届けたりできるようになるんじゃないだろうか。
一人では、一足飛びには、行けないんだろうと思う。
そして無頓着でいれば、子供の表現方法しか知らないまま大人になってしまうのだろう。
そんなことを考えてみた年末でした。
それでは今年はこれまで。皆さま、良いお年を。
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