2009年7月16日木曜日

「野村仁展」を見てきた

「野村仁 変化する相-時・場・身体」
2009年5月27日~7月27日
国立新美術館


なかなか面白い展示だった。


記録を続けることによって「存在する」を表現する。
「存在」や「存在する意味」ではなく、「存在する」と動詞で表されるもの。
それは、表現されるものに「時間」や「動き」が必ず関わっているから、そう感じる。


その表現は収集され蓄積されてきた記録が写真や動画、造形、音楽、など様々な形になって表されていく。記録を重ねていくという姿勢はどこか科学的でありながら、現れるものはどこか古代人の視点のような大きな時間を感じた。


展示物の感想としては、


大きなダンボールタワーに「ちょっと乗ってみたいんですけど」て思ったり、


月や鳥の楽譜を見ながら、その音楽を聴きつつ、
以前に円周率の音楽というものをネットで聴いたことがあったのを思い出したり、


アナレンマシリーズの八の字を描く天体の無限運行の写真の美しさに見とれたり、
《北緯35度の太陽》という展示に、ケルトの渦巻き文様や中国の雷紋、あるいは前にどこかで見た星だか星雲だかの写真にもこんな形に近いのがあったのを思い出して、古代に星を見ることを仕事にしていた人たちもこの形を知っていたのかもしれないと考えてみる。しかし、どうしてこの形は片側が小さくなるのだろう?


星の写真を見ながら、子供の頃は宇宙の図鑑を飽きずに眺めていたことを思い出したり、


ガラス造形の、触れたらパリンといってしまいそうな形にドキドキしたり、


木の展示物が、やけに良い香りで深呼吸しちゃったり、


色の言葉が読めずに、首をひねったり。


心と頭が、ほどよく刺激されて、居心地が良かった。
この企画展は、また行ってもいいなって、思った。