2011年2月21日月曜日

ルーティンから抜け出す

沈黙と押し黙ることは、全く違う。


近頃またぞろ自分が黙り始めていることに気が付いた。
こういう時の自分との問答はツーカーといかない、押し問答になる。
「これまで・このまま」を維持しようとする無意識に抵抗するからだ。
無闇な「怒り」という感情になったりもする。
「怒り」とは何かを守ろうとする意識から起こるものだそうだ。だから「怒り」を押さえたいなら、自分が何を守ろうとしているのかに気付いて、ひとまずそんな自分自身を認めると良いのだそうだ。
私のこの場合は「ルーティン」だ。「変化」を良しとせず、相変わらずのままでいようとする。


どうもここ数年、この抵抗を同じパターンで繰り返していた気がする。
それは断絶やカラッポや「どうでもいい」や自己嫌悪や自己否定から始まって。
そして「存在意義」や「書く意味」を問い質し出す。


そこでそれに囚われると、精神的な断絶部屋行き決定。
全てのつながりから自分を隔離して引きこもり出す。
引きこもったままなら、まだ良い。
うっかりすると自己憐憫を満たすためだけに、優しい人を搾取したりする。
最初の内はそれが普通の行動として起こるが、途中で自分の意地汚さに気が付いて、更なる自己嫌悪に陥っていく。
自分の落下に他人を巻き込むから、引きこもりよりタチが悪い。


でも今回は上手く復帰できた。
表現する喜び、伝える楽しみ。
誰にも、私にも、譲らない。
文章が上手かろうと下手だろうと。
内容がベタだろうと変だろうと。
文章は私の声代わり。
人がただしゃべる時、話し方が上手いとか下手とか考えていないように。
そのような気楽さで。
黙るな!
と、吹っ切れた。


でもきっと、これからも、何度も、同じようなことを繰り返すんだ。
だって、前にもこんなこと書いた気がするもの。
でも特効薬なんか無いから、せめて同じところには戻らないように、少しずつでも変化をしていく。


少し悩んだのは、飆庵に書くのか、別の所で書き始めるか、だったけど。飆庵は私の心の住処であり屋号のようなものでもあり、ここに書けないならどこに書いても無意味のように思えた。
だからこれから、KUMAMI関連以外のブログ記事の更新頻度が上がって、変な文章が増えていくけど、気にしないでね。まあ、カテゴリから必要な記事を見てもらえれば、余計なものは見なくてすむでしょう。